酒粕に、野菜と数の子。新潟の「数の子山海漬」は、贈りものの定番として長く親しまれてきました。
ところが、この漬物が生まれた場所は新潟ではないと伝えられています。新潟県漬物工業協同組合の副理事長で、株式会社三幸の代表取締役でもある佐藤克成さまに、その成り立ちをうかがいました。
生まれたのは、海のない長野
「山海漬は、戦前に長野県で開発された商品だと聞いています」と佐藤さまは話します。
文献や、祖父が残したメモをたどって調べた結果だといいます。ただ、長野で作られていた当時の山海漬は、記録に残っているのは野菜のことばかりで、「海」にあたるものが何だったのかは、はっきりしないそうです。
その山海漬を、昭和10年頃に新潟の漬物業者2社が特許を買い取って製造を始めた、と伝えられています。
港町だからこそ使えた、安い数の子
新潟で作り始めるとき、地元の事情が加わります。
新潟は港町です。北前船の行き来があり、北海道との結びつきが強い土地だったといいます。当時、北海道ではニシンが大量に獲れていて、肥料になるほどだったそうです。ニシンの卵である数の子も、水産物のなかでは安いものでした。
「うちは水産物の問屋もやっていましたし、北海道ともつながりがあったので、安い数の子をあえて合わせたんです」(佐藤さま)
野菜だけだった山海漬に、数の子が入る。こうして生まれた「数の子山海漬」が、全国に流通していきました。
戦争をはさんで、数の子は高級品になる
その後、戦争の時期に入り、統制によって作れない時代もありました。統制が終わったのは昭和27年頃。ようやく自由に商品を作れるようになったとき、状況はすっかり変わっていたそうです。
「その頃にはもう、数の子は高級品になっていました」(佐藤さま)。戦前からの15年、20年ほどの間の変化です。
安い材料だったから合わせたはずのものが、いつのまにか、その商品を高級なものにしていた。戦前と戦後で、数の子の立場はがらりと変わりました。いまでは「黄色いダイヤ」と呼ばれることもあります。
複数の蔵の酒粕を、ブレンドして寝かせる
もう一つの主役が酒粕です。
酒蔵によって、また造るお酒によって、酒粕は硬さも色も違います。そこで複数の蔵の酒粕をブレンドし、ちょうどよい硬さに整えてから、さらに寝かせて熟成させます。
「熟成のノウハウがありますし、その度合いも調整しながらやっています」(佐藤さま)
新潟の蔵元数社と付き合いがあるからこそできる調整です。
「山海漬」という名前の、伝わりにくさ
もう一つ、名前の話もうかがいました。
「山海漬という名前は、文字を見ただけでは何のことか分かりにくいんです」(佐藤さま)
山と海。字面からは、何が入っているのかが見えてきません。数の子のことも、酒粕のことも、名前は教えてくれない。長く作られてきたのに、いまも説明が要る名前です。
一方で、わさびの茎や葉を加えたものは「わさび漬け」と名乗れます。こちらは「数の子わさび」という名前で、スーパーの売り場に並びます。何が入っているかが、名前を見ればだいたい分かります。昭和50年代あたりから、この名前の商品が増えていったそうです。
そして、昔ながらの「数の子山海漬」は、贈答用の瓶詰めとして今も作り続けられています。何年か前からは「越後雪室屋」(にいがた雪室ブランド事業協同組合)に加盟し、雪室で熟成させた酒粕を使ったものも作っています。雪室は、雪深い新潟の天然の冷蔵庫です。
「そちらのほうが、ずっと古くから評価いただいているので」(佐藤さま)
売り場の棚に並ぶものと、贈りものとして選ばれるもの。同じ作り手が、名前と一緒に届け先を選び分けています。
名前の分かりにくさの向こうに
長野で生まれ、新潟で数の子と出会い、戦争をはさんで高級品になり、いまは名前の分かりにくさと向き合っている。ひと言では説明しにくい成り立ちが、そのまま「山海漬」という名前に詰まっています。
売り場で見慣れない名前に出会ったら、その裏側にある道のりを想像してみてください。
まちもぐは、全国のご当地食品を紹介するメディアです。今回お話をうかがった新潟の作り手のように、産地の方々に教えていただきながら、地域の食品と作り手を伝えています。
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